Fast-Foward

日記やアングラ系記事を書きます

日記2016/02/11

俺は体力がない。

というより、なくなってしまった。

かねてからの引きこもり的習慣が、今もなお続いているせいだ。

しかしこのままでは流石にヤバいと、
二十歳になるかならないかくらいから感じていた。

このままの状態で、変化なく生きていくのは、いい加減もう限界だと思った。

それは、どこへ行くのか目的地がないまま、車を二十年間運転していたようなものだ。


その報いで、いつしか目の前は断崖絶壁。
このまま進めば投身自殺。
進路変更をしなくちゃ死は、まのがれない。

「だけど考えろ、ハンドルを自分の意志で操縦し、カーナビに目的地を登録すればいいだけのことではないのか」

「しかしそんな簡単なことひとつできないから、こんな状況になっているんじゃないか」

「じゃあ今こそやるときだ」

そんな問答が頭のなかで繰り広げられる。

「今更できるか?」

当然、そんな疑問が頭に浮かぶ。

「今までできなかったことが急にできるようになるなんて、常識的に考えてありえないでしょ」

「その通り。では君の運命は、残念だけれど死だね」

「死ぬしかないのでしょうか先生」

「そうだ、なんにも積み重ねて来ず、都合よく、これからものらりくらりと生きていけると、本気でお前はそう思うのか」

「確かにそうです。それは無理です。このままでは破綻し、死ぬ運命でしょう」



とまぁ、こんなことを去年ずっと考えていた。
だけど、捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもので、
世に見捨てられたと思い込んでいた俺は、あっさりと突破口を見つけた。
それが何かは都合があって言えないけれど、突破口を見つけたといえど
そんなに人生は簡単じゃない。

突破口を進むには体力が必要だということに最近気づいた。
突破口を見つけてから半年くらいかかってしまった。
つくづく俺は、何事においても気づくのが遅い。

そこで、俺は体力がないのでまずはスクワットをしている。
まだ数日しか続いてないけれど、
何もしてこなかったおれにとっては大きな成果だ。
あとはジョギングとかできたらいいなと思っている。

明日も絶対頑張ろう。
最後のチャンスをものにするために。

僕は九十年代生まれのネット耽溺世代です。そしてストラテラやってます。

僕は九十年代生まれのネット耽溺世代です。


落ち着きがなく、物忘れが激しく、つい時間ギリギリで行動してしまいます。
医者にかかっていた頃もありましたが、統合失調症と診断され、統合失調症のことを調べましたが僕の症状とはあまり当てはまる点が少ないので、それとインテリは信用できないので、通院は自己判断で辞め、自己研究を重ね、個人輸入を経て自己投薬してます。

僕は、おそらくADHDというものだと思います。ADHD統合失調症と誤診されることが多いと聞きました。ADHDなら納得できる症状内容だったので、自分はADHDだ! と勝手に決めつけていますが、当たらずといえども遠からずでしょう。
なんちゃら博士のテストでは、火の輪型ADDか辺縁系ADDらしいですが、この博士は異端なお方らしいので、あまり参考にはしていません。

 

自己研究を重ねた自己投薬のおかげで体調がすこぶる良くなってきている今日このごろです。

具体的にはストラテラっていう薬をのみはじめて、自己に関する様々な問題が解決されてきています。

 

記事の方は

主に適当な記事を書きます。一貫性を保つブログってのは、僕にとって精神衛生上よくないからです。

鶴見済氏の人格改造マニュアルという本を読んで、人格なんていうものは、所詮脳内物質の多寡で決まるもので、生活習慣や薬、サプリメントで、その脳内物質をいじれば、簡単に人格なんていうものは変えられると確信を持ちました。
なので臨機応変に薬やサプリメントを変えて、その時々に合った人格に自分を変更し、快適な人生を送れるようになりました。

ですが、薬やサプリメントばかりに頼るのではなく、様々な方法論を取り入れて、実践しています。

そんなことや、いろいろしていることを書いて、誰かの参考になったら幸いです。
以上です。

人は1人では生きてゆけません、てか、2人でも生きてゆけません

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人は1人では生きてゆけません。
では、2人では生きてゆけるのか。
いや、無理だ。
じゃ、3人だったら?、、、、


きっと、じゃんけん的三つ巴関係になる。誰が誰に強く誰に弱い的なのになると思う。
3人で常に固まってりゃ、あいこの状態で平和だけれど、誰か1人が尿を催しでもしたら大変だ。1人がトイレに行っている間、あいこの状態が解けて、1人が1人に殺されるだろう。
結果、1人が死に、2人になる。そしてその2人で争いが起きて、また1人死ぬ。
最後に1人が残る。人は1人では生きてゆけない。だから最後の1人も結局死ぬのだ。

それでは4人なら良いのだろうか?
いや、これも同じこと。
誰が誰に強く誰に弱い的な相性があるのは避けて通れぬ道である。
いくら人数が増えても共食いを始め出すのだから救いようがない。

では救いの道はあるのだろうか。
それはある。とりあえず1人で生きてゆけばいいのだ。
捨てる神あれば拾う神ありだ。
人は1人で生きてゆけなくても、神はいるんじゃないか。神に拾われ、生きることができるのではないだろうか。
人によって神と崇める対象は違うだろうけれど、もしくは神なぞ崇めていないと主張する者もいようが、神とは「絶対」であるからして、絶対に神なんて崇めないという立場もやはり神なのだ。絶対に神を崇めていない立場は、絶対だから、その立場は神になる。とどのつまり誰もが神を崇めているということになる。
これはパラドックス的考え方だけれど、絶対という言葉自体がパラドックスなので仕方がない。

と、以上の考え方を踏まえると、人は1人では生きてゆけないが、神に拾われれば生きてゆける。神とは、1人の例外もなく皆が崇めているものだ。要するに、神とは一人一人の自己に眠っているのだ。
きっと僕らの手の中に神はいる!未来はある、、、!!

っつーことで、「未来は僕らの手の中」
って曲を書いたブルーハーツは偉大でした。

最後に偉大なる彼らの一曲のリンクを貼って終わろうと思う。




ネオゆきげしきアルファサファイア

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ゆきげしきを見た祖母が言った。
「君は犬だね、どちらからいらしたのかしら」
と。
やだなぁ、犬にまで尊敬語使うなんてって僕は思ったから玄関を蹴り飛ばし、家からかけでた。途中、犬3匹とすれ違ったので、それぞれ違うあいさつをした。
1匹目の犬には、「こんちは」
って言った。そしたらシカトをくらい鬱々とした気分になった。
そんな気分の中、再び走り続けていると、2匹目の犬が目前を歩いていた。僕はまたあいさつした。「お疲れ様です」
犬はしっぽをふって喜んだ。その反応をみて、僕は気分がハッピーになった。アルコールを飲んだ時よりもね。
そんな中再び走り出した。すると5秒もしないうち、3匹目の犬が目前に現れた。
僕は例によってあいさつをかました。
「おはようございます」
犬は、「わん!」ていった。ぼくはその、なんの工夫もない返事に幻滅し、再び鬱々とした気分になった。
そんな気分の中、遠い親戚からいきなりラインが来た。メッセージは、
「げんき?」
って、それだけだった。
僕は、「は?」
と返事してやり、またなんか変なラインを送られたらうざいので、そいつの通知をオフにした。
その遠い親戚というのは、距離的な意味であって、実際には母さんの妹だ。僕は母さんの妹のシズルさんとは結構懇意なのだ。
閑話休題、僕は家を出てから犬に3匹会ったことを振り返ってみた。するとある共通点が見つかった。それは、、、、



次回に書きます。よろしくお願いします。

俗天使

太宰治の小説に俗天使ってのがある。
駄作だとレビューで見たから読んでいない。しかしタイトルは素晴らしいなと思うから、いつまでも頭から離れない。

俗天使って俗な天使ってこと。
天使だと思ってた女の子も、結局は俗っぽいただの他人にすぎないって、太宰治もそう思ったのかもしれない。内容は読んでないから分からんけども、そんな気がする。

誰でも、天使が俗だなんて気が付きたくない。直視したくない。だけど気づいてないふりもできない。どうしようもない。

人はどうしようもなくなるとどうなるのか、それは多くの小説に書かれているけれど、事実は小説よりも奇なりというもので、多分、人はどうしようもなくなったときの方が面白いのかもね。

僕はどうしようもなくなりきれてないから、どうしても一歩が踏み出せない。でももう無意識的に、一歩は踏み出しているのかもしれない。取り返しのつかないところまで来ているのかも。
パンクバンドのCrassみたいな感じに自然となっていくんだ。なにも考えてないのに、僕の行動はみんなそんな方向へ行ってしまってるんだ。
自然と向かってしまう方向こそ、自分の歩く道だからそこをとりあえず歩いていればいいんだ。

大槻ケンヂの小説で、天国へのロックバス、ってのがあって、最近僕はそれを読んだ。
そこん中の前髪パッツン少女の言うセリフが、とても突き刺さった。確かこんなセリフだった。
「キミはカッコ悪くてもこだわりたいことってないの?」
まわりの人間にいくらカッコ悪いって言われても、何を言われようがこだわりたいことってあるかなぁと考えさせられた。そしてそれは、個人個人違うし、こだわりたいことをこだわり続けるって、そもそもこだわりたいことがなきゃできないよなって思った。
僕はインターネットの世代に生まれ、便利なツールを使い放題使えて、なんかもう人生充分満足って感じなんだよ。だからこだわりたいことってないよ。でも、それは自分がってことで、他人に対してこだわりたいことだったらあるかもって思った。ていうかある。ひとつだけあるかもしれないと思う。
とりあえず便利で、社会保障とかそんな制度がちゃんとあって、なんにも怖くない中生きれる現代って、僕は逆に怖いよ。
ゲームボーイソフトの魔界塔士サガに出てくる、なんもしなくてもいい世界って現代じゃね? って思うぜ僕は。
だからせめて、ひとつだけ僕にやらせてください。なんもしなくてもいいけど、僕はやりたいんだよ。一つだけそう思うことがあるから、それがやり終わるまでは死ねないんだよ。
端から見たら狂気の沙汰かもしれないけど、そんなことはもう気にならなくなった。ひとつだけやりたいと思うことをしよう。最後までやり終えて、ついでにそん時死ねたら最高だなぁ。
病気や事故や老衰で死ぬのなんてまっぴらごめんだから。

悪魔城ドラキュラXXの残機はスコアいくつで増えるのか

悪魔城ドラキュラXX(ダブルエックス)をやった。当然実機プレイだ。
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なにぶん古いゲームなので、情報が少ない。
残機が何点で増えるのか、何機まで増えるのか調べても分からなかった。
そこで調査した。
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とりあえず敵が無限に出てくるところでムチをふりまくった。
そのところ、どうやら2万点で一機増えることが分かった。
画像は、とりあえず敵を倒してたら、倒しすぎて80000点までいってしまったものだ。


次は何機まで増えるのかを調査した。
調査には、僕が唯一持っているスーファミの連射コントローラであり、アケコンでもあるファイタースティックSNという多分外国製のものを使った
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こいつは最近のアケコンと違ってすべてプラスチックでできているので、スティック部分がカチカチ鳴らない。むしろスティック部分の操作感としては、プレステのアナログスティクに近い気がする。

調査のため連射状態で睡眠中に放置した。
結果!
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スコアは最高で999900点。初代スーパーマリオの残機のように、特にバグった表示にはならずカウンターストップしていた。
そして残機のほうは、7!!
7機までしか増えないことが判明した!
これは最高で7機でラスボスに挑まねばならないということだ。こういう、難易度が高めの横スクロールアクションは、残機があえて一定以上、上がらなくしてあるのが常である。しかし普通は、最高で上がる残機が一桁の最高の数字である9までとか、そんなものが多い。
なぜ7なのか。なぜこんな中途半端なキリの悪い数字が最高残機のゲームは珍しい。
残念ながら最高残機が7の理由は分からなかった。
以上で調査は終了だ。
悪魔城ドラキュラXXをこれから攻略しようとしている者へ少しでも情報提供できたのなら幸いである。

ボンバーマンは理想郷を求め戦うゲームだ!!ただ自分のためだけに。

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近所で相場より安く売ってたんで購入した。
これはファミコン版の移植作品だ。
オリジナルのファミコンカセットも持っているが、メルカリに出品してしまっているので、いつなくなるかわからない。
そんなこともあり、こいつを買ったわけだ。

思えばボンバーマンとは気楽な戦士だ。
シンプルな生き様ともいえる。
次元式の爆弾を設置して敵を倒していくのだが、爆風に当たったり、敵に触れると即死する。一回のミスで即死である。
これでは魔界村のアーサー君も敵わない。アーサー君は一回くらったら白骨化してまだ戦えるが、ボンバーマンはそうはいかない。
即死なのだ!

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このグレーの人工物がほとんどの画面も、ボンバーマンの世界の特徴のひとつだ。f:id:kouya-hitohiro:20151230003649j:image
この無機質な、無駄がない寂しいようなステージを延々と進んでいかなければならない。 
しかも仲間はいない。ボンバーマンたったひとりの戦いだ。
そしてボンバーマンの目的とは、ただ脱出すること。閉塞空間からの脱出を試みているのだ。まだ見ぬ外の世界に希望を持って、健気に地道にステージを進んでいく。
ボンバーマンには、助けるべき美女も親友もいない。ただ自分の魂の解放を目的に、工場からの脱出を決意したのだ。
純粋に自分のために、彼は頑張る。それは外の世界を知らないから、外の世界に多大な希望を抱いてひたすらに頑張るのだ。
きっと外の世界は理想郷に違いないと、どこかでボンバーマンは思っているかもしれない。
しかし、ボンバーマンが地上に出て、外の世界もグレー一色の、同じようなコンクリートの世界だと知ったら、彼は何を思うだろう。
ボンバーマンってそんな残酷なゲームだと思うのです。