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Fast-Foward

日記やアングラ系記事を書きます

人は1人では生きてゆけません、てか、2人でも生きてゆけません

社会
f:id:kouya-hitohiro:20160125004255j:image
人は1人では生きてゆけません。
では、2人では生きてゆけるのか。
いや、無理だ。
じゃ、3人だったら?、、、、


きっと、じゃんけん的三つ巴関係になる。誰が誰に強く誰に弱い的なのになると思う。
3人で常に固まってりゃ、あいこの状態で平和だけれど、誰か1人が尿を催しでもしたら大変だ。1人がトイレに行っている間、あいこの状態が解けて、1人が1人に殺されるだろう。
結果、1人が死に、2人になる。そしてその2人で争いが起きて、また1人死ぬ。
最後に1人が残る。人は1人では生きてゆけない。だから最後の1人も結局死ぬのだ。

それでは4人なら良いのだろうか?
いや、これも同じこと。
誰が誰に強く誰に弱い的な相性があるのは避けて通れぬ道である。
いくら人数が増えても共食いを始め出すのだから救いようがない。

では救いの道はあるのだろうか。
それはある。とりあえず1人で生きてゆけばいいのだ。
捨てる神あれば拾う神ありだ。
人は1人で生きてゆけなくても、神はいるんじゃないか。神に拾われ、生きることができるのではないだろうか。
人によって神と崇める対象は違うだろうけれど、もしくは神なぞ崇めていないと主張する者もいようが、神とは「絶対」であるからして、絶対に神なんて崇めないという立場もやはり神なのだ。絶対に神を崇めていない立場は、絶対だから、その立場は神になる。とどのつまり誰もが神を崇めているということになる。
これはパラドックス的考え方だけれど、絶対という言葉自体がパラドックスなので仕方がない。

と、以上の考え方を踏まえると、人は1人では生きてゆけないが、神に拾われれば生きてゆける。神とは、1人の例外もなく皆が崇めているものだ。要するに、神とは一人一人の自己に眠っているのだ。
きっと僕らの手の中に神はいる!未来はある、、、!!

っつーことで、「未来は僕らの手の中」
って曲を書いたブルーハーツは偉大でした。

最後に偉大なる彼らの一曲のリンクを貼って終わろうと思う。