Fast-Foward

日記やアングラ系記事を書きます

俗天使

太宰治の小説に俗天使ってのがある。
駄作だとレビューで見たから読んでいない。しかしタイトルは素晴らしいなと思うから、いつまでも頭から離れない。

俗天使って俗な天使ってこと。
天使だと思ってた女の子も、結局は俗っぽいただの他人にすぎないって、太宰治もそう思ったのかもしれない。内容は読んでないから分からんけども、そんな気がする。

誰でも、天使が俗だなんて気が付きたくない。直視したくない。だけど気づいてないふりもできない。どうしようもない。

人はどうしようもなくなるとどうなるのか、それは多くの小説に書かれているけれど、事実は小説よりも奇なりというもので、多分、人はどうしようもなくなったときの方が面白いのかもね。

僕はどうしようもなくなりきれてないから、どうしても一歩が踏み出せない。でももう無意識的に、一歩は踏み出しているのかもしれない。取り返しのつかないところまで来ているのかも。
パンクバンドのCrassみたいな感じに自然となっていくんだ。なにも考えてないのに、僕の行動はみんなそんな方向へ行ってしまってるんだ。
自然と向かってしまう方向こそ、自分の歩く道だからそこをとりあえず歩いていればいいんだ。

大槻ケンヂの小説で、天国へのロックバス、ってのがあって、最近僕はそれを読んだ。
そこん中の前髪パッツン少女の言うセリフが、とても突き刺さった。確かこんなセリフだった。
「キミはカッコ悪くてもこだわりたいことってないの?」
まわりの人間にいくらカッコ悪いって言われても、何を言われようがこだわりたいことってあるかなぁと考えさせられた。そしてそれは、個人個人違うし、こだわりたいことをこだわり続けるって、そもそもこだわりたいことがなきゃできないよなって思った。
僕はインターネットの世代に生まれ、便利なツールを使い放題使えて、なんかもう人生充分満足って感じなんだよ。だからこだわりたいことってないよ。でも、それは自分がってことで、他人に対してこだわりたいことだったらあるかもって思った。ていうかある。ひとつだけあるかもしれないと思う。
とりあえず便利で、社会保障とかそんな制度がちゃんとあって、なんにも怖くない中生きれる現代って、僕は逆に怖いよ。
ゲームボーイソフトの魔界塔士サガに出てくる、なんもしなくてもいい世界って現代じゃね? って思うぜ僕は。
だからせめて、ひとつだけ僕にやらせてください。なんもしなくてもいいけど、僕はやりたいんだよ。一つだけそう思うことがあるから、それがやり終わるまでは死ねないんだよ。
端から見たら狂気の沙汰かもしれないけど、そんなことはもう気にならなくなった。ひとつだけやりたいと思うことをしよう。最後までやり終えて、ついでにそん時死ねたら最高だなぁ。
病気や事故や老衰で死ぬのなんてまっぴらごめんだから。